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最新の区間記録で振り返る箱根駅伝あのシーン、あの選手 - 読売新聞

 新春恒例の箱根駅伝は第97回大会の開催が間近に迫っています。毎年各大学による激しい優勝争い、そしてシード権争いに沸きますが、選手個々のパフォーマンスにも大きな注目が集まります。その最たるものが、区間記録の更新でしょう。第97回大会を走る選手にも大きな励みになるであろう、最新の金字塔を振り返ってみました。(読売新聞オンライン)

 2020年の陸上界を沸かせた1人が、東洋大出身で旭化成所属の相沢晃選手でしょう。19年の学生3大駅伝(箱根、出雲、全日本大学)全てで新記録の区間賞を出して臨んだ箱根の96回大会は花の2区でした。1区の出遅れを7人抜きの快走で7位まで挽回、09年に山梨学院大のメクボ・モグス選手が出した区間記録を7秒上回りました。「自分でも驚いた」という初の1時間5分台で「学生最強ランナー」の実力を証明しましたが、その11か月後には国内最強へと飛躍します。

 コロナ禍で今年12月に延期された陸上の日本選手権・長距離種目。男子1万メートルに出場すると、日本新記録でオリンピック参加標準記録を突破して初優勝、21年夏の東京大会の代表に内定しました。箱根から世界へ――を体現したのです。

 20年大会の4区では、青山学院大4年だった吉田祐也選手が相沢選手が前年に作った区間記録を更新しました。入学前から陸上は大学限りと決めていたといいますが、「11番目の選手」が続き、これが箱根初出場。「この1時間のために10年間努力してきた」と渾身(こんしん)の力を込めた走りで2位から1位へ浮上、チームの2年ぶりの総合優勝への流れを作りました。

 そして、この快走が人生の転換点になったのです。原(すすむ)監督にマラソンを勧められ、翌2月に別府大分毎日マラソンに出場し日本勢トップの3位に。悩んだ末に一般企業の内定を辞退して、GMOインターネットグループで陸上を続ける道を選択しました。2度目のマラソンだった12月の福岡国際では日本歴代9位タイの2時間7分5秒で初優勝を飾っています。

 最新の区間記録で最多の3人を輩出しているのが東海大です。

 19年箱根の復路は、東洋大から1分14秒差の2位でスタート。7区・阪口竜平選手の区間2位の力走などで4秒差まで詰めると、8区の小松陽平選手は冷静に勝機をうかがいました。15キロ手前で東洋大選手の苦しそうな表情を見て「一気に突き放そう」と首位を奪取。難所の上り坂も力強く駆け上がり、東洋大に51秒差をつけました。唯一1990年代から残っていた区間記録を22年ぶりに塗り替えただけでなく、東海大の初の総合優勝に大きく貢献しました。

 一方、20年の大会でも東海大には区間新が出ましたが、箱根駅伝の難しさを味わうことに。復路は首位の青山学院大から3分22秒遅れの4番手スタート。山下りを託された館沢亨次主将が最後は力を出し尽くして倒れ込む激走で、6区の区間記録を40秒更新し3位に浮上、首位との差を1分1秒縮めました。

 さらに7区で20秒詰め2位に。8区を再び走った小松選手は区間賞でしたが、前年からは35秒遅く、詰まった首位との差はわずか1秒。逆に9区で引き離され結局2位、連覇はなりませんでした。館沢、小松両選手らとともに黄金世代と呼ばれ、前年活躍した阪口選手(補欠でエントリー)も欠場となりました。

 タイムで見れば、大会新記録を打ち立てた前回(往復で10時間52分9秒)を3分44秒更新しています。「大きなミスはなかったが、あがいても追いつけなかった」と両角(はやし)監督。東海大をさらに3分2秒上回り、王座に返り咲いた青山学院大の速さと安定感が際立った大会でした。

 この20年大会で箱根の怖さを味わったのは東洋大でしょう。2区の相沢選手に加え、山登りの5区で宮下隼人選手がやはり区間記録を作りましたが、ほかの3区間で区間順位が2桁とふるわず往路は11位。復路では7位をキープしていましたが、最終10区で順位を三つ下げ、11年連続で3位以内だった強豪が10位に沈みました。酒井俊幸監督は「エース級は力をつけているが、全体の強化が必要と改めて学んだ」と語っています。

 20年の箱根で、10位以内に与えられるシード権を初めて獲得したのが東京国際大と創価大です。区間新記録がドラマを呼びました。

 箱根出場4度目だった東京国際大は2区でエースの伊藤達彦選手が5人抜きの力走で1区13位から8位に浮上し、3区のケニア人留学生、イエゴン・ビンセント選手へ。大志田秀次監督が「時計が狂っているのかな」と驚くほどの圧巻の走りで、従来の記録を2分1秒更新、首位に躍り出ました。これに後続も奮起、往路を3位で終えると復路は6位でまとめ、前年の15位が最高だったチームが総合5位の大躍進です。

 一方、創価大は、箱根出場3度目で初となる区間賞が1区で出て最高のスタートを切ると往路7位。復路は順位を落としましたが、粘り強く11位をキープし最終10区につなぎました。

 ここで区間記録を13年ぶりに更新する快走が生まれました。嶋津雄大選手が中央学院大と東洋大を抜き去り、9位に滑り込んだのです。1月4日付の読売新聞朝刊運動面では、目の難病により暗い所では視力が落ちることから冬場の朝練習はチームとは別に照明をつけたグラウンドを走っていたというエピソードを紹介、嶋津選手の「ハンデではあるが大学関係者ら皆の協力を得て練習ができているので、逆に精神力が養われている」との談話も掲載されました。

 これまで登場した区間新は20年の箱根が中心でしたが、それもそのはず、7区間で区間新が生まれました。好天などコンディションに恵まれたほか、ナイキ社の厚底シューズの影響も指摘されました。

 残る3区間のうち、8区は先に紹介した19年の小松選手で、直近の2大会で八つの区間の記録が塗り替わったことになります。

 区間記録の更新が久しくないのは1区と9区で、1区はSGホールディングスの佐藤悠基選手が東海大時代の07年に、9区は山陽特殊製鋼の篠藤淳・プレイングコーチが中央学院大時代の08年に、それぞれ記録しています。

 21年の第97回大会は、コロナ禍が収まらないなかでの大会となります。高速レースの潮流は続くのかなど興味は尽きませんが、選手たちは様々な制約の中、苦難や葛藤を経て箱根の舞台に立つことになります。心から声援を送りたいと思います。

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