契約社会の米国でも、鈴木誠也外野手(27)は古き日本式を貫いた。絞り込んだ移籍先から最終決断を下す交渉は最終局面を迎えていた。カブスはオーナーをはじめGMなど球団首脳がロスでの交渉に出席。さらに広げられた「SUZUKI」の名が入ったユニホームに球団の思いを強く感じ取った。「金銭面も大事かもしれないけど、あの誠意は心に刺さった。これだけの誠意に、応えないわけにはいかない」。大型契約だけではない。契約書には記されないものが、最後の決断を後押しした。

これまでもそうだった。ブレークした16年、用具メーカー数社からアドバイザリー契約のオファーを受けたが、プロ入りから使用していたアシックス社と17年2月に契約した。条件が上回るメーカーもあったようだが「ずっとお世話になっている。結果を残したからと、すぐに変えるわけにはいかないでしょう」と、迷いはなかった。

20年2月、マネジメント会社のスポーツバックスに決めたのも、契約条件ではない。数社からさまざまな提示を受ける中、同社所属の上原浩治氏の引退試合で事務所社長が涙を流している姿が心に刺さった。「所属選手をしっかりと人として付き合っているんだなと感じたんです」。プロの世界で武士のように生きる鈴木に、ビジネスライクという言葉は似合わない。

誠意には誠意で、そしてプレーで返すのが誠也流。「やっと始まるなと思っています」。契約が決まったときの声には、喜びよりも覚悟を決めた強さが感じられた。米大リーグでもきっと、鈴木誠也は鈴木誠也であり続ける。【前原淳】